B’zは、1988年9月21日にシングル「だからその手を離して」とオリジナルアルバム「B’z」の同時リリースでデビューしたギタリスト松本孝弘とヴォーカル稲葉浩志からなるロックユニットです。
彼らはデビュー以来、約33年間音楽活動を止めることなく、53枚のシングル、21枚のオリジナルアルバム、9枚のベストアルバム、6枚のミニアルバムなどをリリースしており、それに伴い「平成30年ランキングアーティスト別セールス」では、累計売上8262.4万枚(シングル3596.9万枚,アルバム4665.5万枚)を記録して日本で1番CDを売り上げたアーティストに選ばれました。
「いやぁ、苦しかったですね。レコーディングは苦しかった、すごく」/稲葉浩志
B’z ミラクルクロニクル96ページ
しかし、そんな日本を代表するロックユニット「B’z」のヴォーカルを務めている稲葉浩志さんは、
デビュー当時はレコーディングが苦しかったとおっしゃっています。
では、どうして稲葉浩志さんはレコーディングを苦しいと思っていたのでしょうか?
そのことについて稲葉浩志さん本人が、B’zデビュー20周年の節目に作られた年代記『B’z ミラクルクロニクル』のインタビュー中なかで話されていました。
なので、今回はB’z稲葉浩志さんがレコーディングを苦しいと思っていた理由についてご紹介させて頂きます。
B’z稲葉浩志「いやぁ、苦しかったですね」日本を代表するヴォーカリストがレコーディングが苦手だった理由
イメージが出来なかった
「当時はだって、形を描いてたのはほとんど、松本さんで。目指す形を、っていうところまで、僕はあんまりいってなかったですから。それがどういう形に最後なるのかっていうのが、わからなかったですし。」/稲葉浩志
B’z ミラクルクロニクル96ページ
デビュー当時の稲葉浩志さんがレコーディングが苦しいと思っていた理由は、
イメージが出来なかったから
B’zのリーダー松本孝弘さんは、稲葉浩志さんと「B’z」を結成したときにはすでにセッションミュージシャンとして、「TM NETWORK」さんや「浜田麻里」さんなど多くのアーティストのレコーディングにも参加していたため、目指す形をイメージしながらレコーディングにあたることができました。
しかし、稲葉浩志さんはプロとしてレコーディングに参加した経験がなかったため、具体的なイメージが出来ませんでした。なので、稲葉浩志さんは完成形が分からないままレコーディング作業をすることが苦しかったんだと考えられます。
もちろん稲葉浩志さんにも学生時代に詞を書いて、オリジナル曲を制作することはあったそうです。
「曲が完成していったときには、喜びはありましたけど。全体的に苦しみのほうが多かったですかね。」/稲葉浩志
B’z ミラクルクロニクル96ページ
しかし、稲葉浩志さんは、曲が完成に近づく喜びこそ感じていたものの、
「全体的には苦しみの方が多かったですかね」と当時を振り返られました。
また、稲葉浩志さんにとってレコーディングは恥ずかしい作業だったみたいなので、それも相まってレコーディングは苦しかったんだと考えられます。
ただ、もしも稲葉浩志さんがレコーディングから逃げてしまっていたら、数々のB’zの名曲ナンバーは生まれていなかったので、苦しい経験をしながらもレコーディング作業に臨んでくださった、
稲葉浩志さんには感謝をしても感謝し尽くせません。
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