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松本孝弘がバンドを結成!B’zがデビューするまでの4ヶ月間

B'z

B’zはギタリスト松本孝弘(まつもとたかひろ)さんとヴォーカル稲葉浩志(いなばこうし)さんからなる日本のロックユニットです。

B’zは1988年にシングル「だからその手を離して」とアルバム「B’z」の同時リリースでデビューしました。

以来、約33年間は音楽活動を止めることなく、53枚のシングル、21枚のオリジナルアルバム、9枚のベストアルバム、5枚のミニアルバムなどをリリースしており、それに伴い「平成30年ランキングアーティスト別セールス」では、累計売上8262.4万枚(シングル3596.9万枚,アルバム4665.5万枚)を記録して日本で1番CDを売り上げたアーティストに選ばれました。

また、B’z5枚目のシングル「太陽のKomachi Angel」で初めてオリコンチャート1位を獲得して以降は49作連続で1位を獲得しており、現在も記録を更新中です。

B’zの偉大な記録はセールスだけに留まらず、『LIVE-GYM』と冠するB’zのLIVEは2019年7月6日に行われた『B’z LIVE-GYM 2019-Whole Lotta New Love』大阪城ホールの公演で、通算1,000回目のLIVEを達成しました。

B’zはデビューから30年以上が経った現在も名実ともに音楽界のトップを走り続ける日本が誇るロックユニットです。

本記事では、そんな日本が誇るロックユニット『B’z』がデビューするまでのエピソードについて詳しくご紹介します。

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B’zの生みの親は松本孝弘

松本孝弘さんは高校1年生で15歳の時に初めてギターを手にしたその日からプロを目指しました

高校卒業後は英語の専門学校に進学しますが、先輩ミュージシャンの”ギターはちゃんとやったほうがいい”との言葉などを受け、音楽専門学校「ミューズ音楽院」に入学します。

しかし、すでにギターの技能が非常に高く講師からプロになることを勧められた松本さんはミューズ音楽院を中退。1981年、アルバイト先のイケベ楽器、池袋店の同僚が音楽制作会社『ビーイング』に自身のアマチュアバンドのデモテープを送ったことがキッカケとなり松本さんは音楽事務所に所属することになりました。

プロのギタリストになってからは「浜田麻里」さん「TM NETWORK」さんをはじめとするミュージシャンのツアーサポートやスタジオ・ミュージシャンとして活動しますが、数年後には自分のバンドを作りたいと考え自身のバンドを結成するためにメンバー探しを始めました。

松本孝弘がヴォーカリストに求めていたもの

「希望はいっぱいありましたけどね。稲葉とはまだ会ったこともなかったし、人間性までは分からないから(笑)。とにかく決めたかったです(笑)。ことごとくやっぱりダメだったので、その前にデモ創った人が、多分ひとりかふたりいたと思うんですけど」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル85ページ

「そういうこともありますよね。だから、僕は、稲葉がいい人であってほしい、いいヴォーカリストであってほしい、って切望していました。」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル85ページ

松本孝弘さんは自身のバンドを結成するために何人かとデモは創ったそうですが、相手にスキル的なものが足りなかったり、人間性的なものが合わなかったりで希望するヴォーカルと出会えませんでした

だから、のちにバンドを組むことになる稲葉浩志さんには、人間性やヴォーカルとしてのスキルを求めていたと同時にもう決めたいという思いが強かったみたいです。

ヴォーカルスクールに所属していた稲葉浩志

稲葉浩志の初ステージ

「僕、頼まれてやったんで。ただ、他の人ができないからお前に頼むって言われると、ちょっと嬉しいじゃないですか。そういう意味の、小さな喜びはありましたけどね。バンドも好きだったし」稲葉浩志

B’z ミラクルクロニクル154ページ

当時高校3年生でテニス部だった稲葉浩志さんは同級生の頼経英博(よりつねひでひろ)さんに高音が出るからという理由でバンドメンバーに誘われました。

頼経さんの話によると、最初稲葉さんは「人前で歌うなんて恥ずかしい」と言っていたそうですが、友達の熱意が伝わったのか出演を決心したみたいです。

「とうとう、文化祭がやって来て、体育館の前で、みんなの前に立った瞬間にもう声が嗄れていて、声が出なかった。それが悲惨な僕のデビューだったんです。でも、その文化祭に飽き足らず、ずっとそれから僕が歌を止められなくなったきっかけになりましたからね」稲葉浩志

B’z TWELVE■稲葉浩志の忘れないでしょう55ページ

そして稲葉さんはヴォーカルとして文化祭のステージに立ち、これが人生初となるステージになったのですが、練習のし過ぎでステージ本番は声がでなかったそうです。

B’zの稲葉さんは意外にも悲惨なデビューを経験されてましたが、この出来事は人前で歌う楽しさを知るキッカケになったと語られています。

ビーイング音楽振興会に所属

高校卒業後は、横浜国立大学教育学部中学校教員課程に入学し、在学期間中には教育実習も行い、数学の教員免許を取得しました。

しかし、大学卒業後はビーイングが主催するヴォーカルスクール『ビーイング音楽振興会』に所属して若手ミュージシャンと共に“稲葉バンド”として活動していました。

B’zが結成するまでの秘話

松本孝弘が受け取った1本のデモテープ

「稲葉に関しては『HONESTY』か何かを歌っているデモテープを聴いて、写真見て”OK”と思った」松本孝弘

B’z TWELVE■松本孝弘が稲葉浩志を語る38ページ

ビーイングの社長であり音楽プロデューサーの長戸大幸さんからヴォーカルを探していた松本さんに1つのデモテープが渡ります。

そこには『ビーイング音楽振興会』に所属していた稲葉さんの歌声が録られていました。

松本さんはそのデモテープを聴いて、写真を見て、やっと自分が結成するバンドに相応しいヴォーカルを見つけた思いになったそうです。

松本孝弘と稲葉浩志の初顔合わせ

松本孝弘に会うと決まって

「いや、僕は別にオーディションっていうことじゃなかったので。その・・・あんまりよくわかってなかったていう(笑)」稲葉浩志

B’z ミラクルクロニクル85ページ

松本さんの中では心は決まっていましたが、とりあえず1度会おうということになり事務所で初めて松本さんと稲葉さんは顔を合わせました。

松本さんは当時からプロのミュージシャンとして活躍していたので、そんな松本さんと会うことが決まったら緊張してしまうと思いますが、素人の稲葉さんはあんまりよく分かっていなかったから緊張もしていなかったみたいです。

稲葉浩志の第一印象

「おとなしそうだなぁ、と。今ほどのスタイルは想像出来なかった」松本孝弘

2012/12/9(日) B’z 25th Anniversary Special 全米ツアー密着ドキュメント 「Only Two」 (WOWOW・感想)

松本さんからみた稲葉さんの第一印象は「おとなしそう」でした。

この時は稲葉さんの激しいスタイルを想像できなかったそうです。

松本孝弘の第一印象

「まず最初に(松本)に会ったとき『あんまりギタリストっぽくない人だなァ』と思いました。僕もそんなに経験があるわけじゃないけど、それまで知っていたギタリストは『オレはギタリストだ』みたいなところがあって、あんまり音楽全体を見通して考える感覚がなかったわけです。ところが松本さんはそういうタイプじゃなかった。」稲葉浩志

B’z The Book Treasure 8ページ

稲葉さんもビーイング音楽振興会に所属していたので、松本さんと会う前にいろんなギタリストと出会っていたそうですが、稲葉さんは松本さんに会ったときにこれまでのギタリストとは違った印象をもたれたみたいです。

初顔合わせで話した内容

「松本さんは雑誌の『GB』とか持ってて。”これがいちばん売れてる雑誌だ”って言ってました(笑)」稲葉浩志

B’z The Book Treasure85ページ

「まずだから、『GB』とその次、『オリコン』と。『GB』の表紙、オリコンチャートの左ページ。っていうのをざっと説明されて、説明されてもわかんないんですけど(笑)。今考えると、最初にしては相当インパクトのある説明だと思うんですけど」稲葉浩志

B’z ミラクルクロニクル86ページ

当時の音楽業界では、“アルバムを3枚リリースするまでにヒットしなければ、レコード会社から見切りをつけられる”と言われていました。

既にプロのミュージシャンとして活躍していた松本さんはそれを知っていたので、なんとか3枚目のアルバムをリリースするまでに自分のバンドを売れさせるという明確なビジョンをもっていました。

だから、プロとして早く始動させたかった松本さんは初対面の稲葉さんに「3年以内に”GB”の表紙を飾る」「3年以内にオリコンの左ページに載る」といった『3ヶ年計画』を力説されました。

「それのなんたるかを知っていればビビりますけど・・・わからないですからね」稲葉浩志

B’z The Book Treasure86ページ

「その・・・『オリコン』の左っていうのが、どういうことかよくわからなかったです。何しろ素人ですから。」稲葉浩志

B’z The Book Treasure86ページ

実際にもうプロのミュージシャンとして活躍していた松本さんから、「”GB”の表紙狙おうよ」「オリコンの左ページに載ろうよ」と言われたら、ビビってしまってもおかしくないですが、稲葉さんはピンとこなかったそうでビビることはありませんでした。

そして結局その日はバンドをしようという言葉はなく、翌日会う約束を交わして解散したそうです。

※「ギターブック/GB」とは当時一番売れていた音楽雑誌。

※「オリコンの左ページ」には、1位から50位までが掲載されていた。

サウンド・ジョーカーでセッション

「初めてやったのは、ジョーカーっていうスタジオだよね」稲葉浩志

B’z ミラクルクロニクル87ページ

「そうそう。日を改めて、ちっちゃいスタジオで2曲やったんだよね」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル87ページ

1988年5月19日、前日に顔合わせをした松本さんと稲葉さんは『SOUND JOKER』というちいさな音楽スタジオでThe Beatlesの「Let It Be」「Oh! Darling」をヴォーカルとギターだけでセッションをしました。

しかし、2曲目が終わったところで使用していたギターのアンプが壊れてしまい、セッションはそのまま終了。しかもその際“一緒にバンドやろう”という言葉はなかったそうです。

「歌えたっていうか、”何が歌える?”みたいなところで。それだったら歌えそうだという曲を。とにかく劇的っていうことがあんまりなかったですね・・・その、アンプが壊れたっていう以外は(笑)。ぱっとしなかったな今思えば(笑)」稲葉浩志

B’z ミラクルクロニクル87ページ

「ふたりで2曲やって、多分途中ぐらいでアンプ壊れちゃって音出なくなっちゃって。“もう・・・いいだろうこれで!”みたいな(笑)」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル87ページ

のちにロックユニットB’zとしてデビューする松本さんと稲葉さんの貴重な初セッションは意外にもその場の流れのままに進んだものでした。セッションする曲もその場で決めたみたいです。

B’zヴォーカル稲葉さんも当時を振り返って、「とにかく劇的ではなかった」とおっしゃっていますし、日本が誇るロックユニットの結成秘話にしては意外な部分も多いです。

しかしながら、松本さんはたった2曲のセッションのなかでも手応えを感じたため、もうこれ以上確認する必要がなかったみたいです。

制作した楽曲を会議で提出

「当時のディレクターが、デモを持って11時からの会議に行くからって。それで決まったらデビューが決まるっていうような感じでした」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル88ページ

「いや、仮英詞じゃなくて、日本語でもう詞書いてて、それがそのあと、そのままになったかどうかはわからないですけど。だから、一応ちゃんとした形で、日本語詞で、アレンジメントもフル・コーラス出来てて、それを3曲提出したんですよね。」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル89ページ

“一緒にバンドやろう”という言葉が交わされることなく”なし崩し的”に活動を始めた2人は制作会議で提出する用の曲の制作に取りかかりました。

その制作は徹夜で行われ、『It’s not a dream』『君を今抱きたい』『ハートも濡れるナンバー~stay tonight~』の3曲を制作されます。

そして会議で聴いてもらったこの3曲が決めてとなり、B’zのデビューは決定しました。

「ええ。稲葉と会う前に、ちょっとだけ一緒にやってみたヴォーカリストと創ったデモとかも、会社で聴いてもらったりしたんだけど、”こういうんじゃないんだよね”っていう感じでしたから。長い道のりになっちゃうのかななんて思ったりもしてたんですけどね。」松本孝弘

B’z ミラクルクロニクル89ページ

松本さんは稲葉さんと会う前は、何人かのヴォーカリストともデモを創って、それを関係者に聴いてもらうことはあったそうですが、納得ができるものではなくバンド作りは難航していました。

しかし、稲葉さんと出会い、稲葉さんと制作した『It’s not a dream』『君を今抱きたい』『ハートも濡れるナンバー~stay tonight~』の3曲はバンドデビューを決定させるほどの高い完成度でした。

早く活動を始めたいし、軌道に乗せたかった松本さんを救ったのが稲葉さんであり、会議に提出した3曲なんです。

そして『It’s not a dream』『君を今抱きたい』『ハートも濡れるナンバー~stay tonight~』はB’zのデビューアルバムに収録されることになり、1988年9月21日にリリースされた1枚目のオリジナルアルバム「B’z」に収録されています。

ロックユニットB’zとしてデビュー

プロのミュージシャンとして活躍していた松本さんが自身のバンドを結成したいと思ったことが全ての始まり

しかしメンバー探しはうまく進みませんでした。

デビューはおろかバンド結成までも長い道のりを覚悟していました。

そんな松本さんは稲葉さんと運命の出会いを果たします

運命の出会いを果たした2人の音楽活動は順調に進み、あっという間にデビューまでしていまいました。

5月に初めて会って、9月21日にはヴォーカル稲葉浩志、ギター松本孝弘の2人からなるロックユニットB’zとしてデビューという異例のスピード感でした。

B’zのデビューから現在

B’zは9月21日にシングル「だからその手を離して」とオリジナルアルバム「B’z」の同時リリースでデビューしましたが、デビュー曲はオリコンランキングで圏外、アルバムは47位にランクインされてます。

売り上げ枚数だけみるとヒットとはいえない結果となった作品ですが、現代とは違ったデジタルサウンドが特徴的で、今とは違った稲葉さんの声や歌い方が聴ける1曲ですし、何よりその後の音楽シーンを築き続ける伝説のロックユニットB’zのデビュー曲なのでファンからも愛されています。

そして、B’zが3枚目のアルバムを発表するまでに実験的に発売したBAD COMMUNICATIONがミリオンヒットを記録し、テレビCMにも起用され、B’zの知名度をあげるきっかけになりました。

さらにB’z5枚目のシングル「太陽のKomachi Angel」で初めてオリコンチャート1位を獲得して以降は49作連続で1位を獲得しており、現在も記録を更新中です。

アルバム作品も「太陽のKomachi Angel」の次にリリースした4枚目のオリジナルアルバム「RISKY」がアルバム作品として初めて1位を獲得しました。

B’zはデビュー以降約33年間は音楽活動を止めることなく、53枚のシングル、21枚のオリジナルアルバム、9枚のベストアルバム、5枚のミニアルバムなどをリリースしており、それに伴い「平成30年ランキングアーティスト別セールス」では、累計売上8262.4万枚(シングル3596.9万枚,アルバム4665.5万枚)を記録した名実ともに日本が誇るロックユニットです。

デビューから30年以上が経ったいまもなお、トップを走り続ける唯一無二のロックユニット『B’z』の今後の活動にも目が離せません。

(文/「ぐっちぶろぐ」@bz19968144@ぐっち)

(B’zカテゴリー更新中@bz19968145@ぐっち|B’zネタ発信)

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