「B’z」とは、1988年9月21日にシングル「だからその手を離して」とオリジナルアルバム「B’z」の同時リリースでデビューしたギタリスト松本孝弘とヴォーカル稲葉浩志からなるロック・ユニットです。
B’zはデビュー以来、未曾有の記録を打ち立て続けており、「平成30年ランキングアーティスト別セールス」では、累計売上8262.4万枚(シングル3596.9万枚,アルバム4665.5万枚)を記録して日本で1番CDを売り上げたアーティストに選ばれました。
また、B’zが「LIVE-GYM」と冠するライブが2019年7月6日に行われた「B’z LIVE-GYM 2019-Whole Lotta New Love」大阪城ホールの公演で、通算1,000回目のLIVEを達成した記録はまだ記憶に新しいです。
では一体、そんな音楽界の歴史を塗り替え続けるB’zは、
いつ結成されたのでしょうか?
もしかすると、B’zファン以外は知らないかもしれません。
なので今回は、日本を代表するロック・ユニット「B’z」の結成日についてご紹介させて頂きます。
【降誕】松本孝弘と稲葉浩志はどこで出会った?日本を代表するロック・ユニット「B’z」の結成日について
B’zの結成日
伝説の始まりとなるロック・ユニット「B’z」の結成日は、残念ながら正確には分かりません。
なぜなら、松本孝弘さんと稲葉浩志さんの間に“一緒にバンドやろう”という言葉は1度も交わされておらず、
2人はB’zの活動を”なし崩し的”に始めていたからです。
出会ってからデビューするまで
ビーイング創設者であり音楽プロデューサーの長戸大幸さんを介して、事務所で顔合わせをした松本孝弘さんと稲葉浩志さん。しかし、音を出すことはなかったみたいで、翌日に会う約束だけして解散したんだとか。
そして、1988年5月19日、前日に顔合わせをした松本孝弘さんと稲葉浩志さんは『SOUND JOKER』という小さな音楽スタジオでThe Beatlesの「Let It Be」「Oh! Darling」をヴォーカルとギターだけでセッションをしました。
しかし、2曲目が終わったところで使用していたギターのアンプが壊れてしまい、セッションはそのまま終了。その際にも“一緒にバンドやろう”という言葉はなかったそうです。
「ふたりで2曲やって、多分途中ぐらいでアンプ壊れちゃって音出なくなっちゃって。”もう・・・いいだろう!”みたいな(笑)」/松本孝弘
B’z ミラクルクロニクル87ページ
しかしながら、松本孝弘さんはたった2曲のセッションのなかでも手応えを感じていたため、それ以上確認する必要がなかったみたいです。
「当時のディレクターが、デモを持って11時からの会議に行くからって。それで決まったらデビューが決まるっていうような感じでした」/松本孝弘
B’z ミラクルクロニクル88ページ
「いや、仮英詞じゃなくて、日本語でもう詞書いてて、それがそのあと、そのままになったかどうかはわからないですけど。だから、一応ちゃんとした形で、日本語詞で、アレンジメントもフル・コーラス出来てて、それを3曲提出したんですよね。」/松本孝弘
B’z ミラクルクロニクル89ページ
松本孝弘さんと稲葉浩志さんは、“一緒にバンドやろう”という言葉がないまま制作会議で提出する用の曲の制作に取りかかりました。
その制作は徹夜で行われ、『It’s not a dream』『君を今抱きたい』『ハートも濡れるナンバー~stay tonight~』の3曲を制作されます。
そして、会議で聴いてもらったこの3曲が決めてとなり、B’zのデビューは決定、ロック・ユニット「B’z」は1988年9月21日にシングル「だからその手を離して」とオリジナルアルバム「B’z」の同時リリースでデビューされたんです。
なので、「B’z」に明確な結成日というものはありません。
ただあえて「B’z」の結成日を決めるならば、2人で初めて音を出して松本孝弘さんが手応えを感じた、
1988年5月19日が「B’z」の結成日なのかなと思います。
ネット上には1988年5月20日が「B’z」の結成日と紹介しているページも多いのですが、その根拠となる「B’z」のお二人のコメントや書籍を見つけられなかったため、本記事では断定しないことにしました。
もしも根拠となるものをご存じの方がいらっしゃいましたら、コメントで教えていただけると幸いです。
以上、日本を代表するロック・ユニット「B’z」の結成日についてご紹介させていただきました。
本記事では端的にご紹介させて頂きましたが、松本孝弘さんと稲葉浩志さんが出会ってからデビューするまでの4ヶ月間について詳しく知りたい方は、宜しければコチラもあわせてご覧下さい。
コメント