『短い間でしたが本当にお世話になりました』
ボクは最後の挨拶をして、入社してたった3ヶ月で会社をやめました。
ただ、この辞職は願ってしたことではなく、考えた末に仕方なく出した選択だったんです。
ボクだって辞めないで済むなら辞めたくなかった。
でも、辞めるしかない理由があったんです。
それがパニック障害。
もしかしたら、皆さんの中にも言葉自体は聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
最近では芸能人がパニック障害を発症して活動を休止するニュースも取り上げられているので知っている人もいると思いますが、パニック障害とはどういう病気なのか詳しく知っている人はそう多くないと思います。
しかし、パニック障害は誰でもなる可能性がある病気であり、周りの理解が重要な病気でもあるので知っておいて頂きたいです。
なので今回は、ボクが23歳にしてなったパニック障害の体験談をご紹介します。
ボクは23歳でパニック障害になりました。発症から引きこもり生活までの”全て”をご紹介します【体験談】
極度の緊張から発症
ボクは大学卒業後は、在学中に内定を頂いていた会社に就職しました。
その会社には研修期間があり、初日の入社式を終えたらまず3日間の社外研修をして、それから自社についての基本的な知識を学んでいくという流れでした。
本当にいっさい難しいことも大変なこともない内容で、とても新入社員に優しいスケジュールだったと思います。
しかし、ボクは入社して5日後、先輩から社内の規則等について話を聞いているときにこうなりました。
「吐きそう」
あまりにも突然でしたが、我慢が出来ない吐き気に襲われました。
その日の予定も座学のみで、そのときも同期の2人と一緒に椅子に座ってただ先輩の話を聞いているだけでしたが、急に吐き気に襲われいまにも吐きそうな状態になりました。
もちろん、これまでも体調が悪い日やインフルエンザなにかかったときなど、吐き気に襲われることはありましたが、原因が分からないまま突然気分が悪くなることはなかったので、どうすればいいのかも分からず怖かったです。
さらに時間が経つにつれ、手汗、体が熱くなるという症状も出てきたので不安な気持ちが膨らみました。
その時のボクは今すぐにでもその場を離れて吐いてしまいたい気持ちでいっぱいでしたが、メンタルが弱いボクは言い出せなくて、ひたすら我慢を続けました。
『休憩時間になればトイレに行くことが出来る』
この一心で、猛烈な吐き気と格闘。
ですが、その善戦も虚しく吐き気に襲われてから30分ぐらい経ったときについに限界が来てしまいました。
「もうムリ吐く」
ボクは先輩の声しか聞こえない静かな職場の中で、勇気を出して「すみません、トイレに行ってきます」と声に出して、席を立ちました。
これで楽になれる。吐き気から解放される。
そんな思いでトイレに向かって、すぐに個室に入り便器に向かって溜めていたものを吐き出しました。
ですが、えずくばかりで
結局、吐くことは出来ず吐く一歩手前の感覚は消えませんでした。
席に戻りたくても、ずっとその吐く一歩手前の感覚はあったので、その場から離れることができずに何度も何度もひたすら便器に向かってえずきました。
吐くことが出来れば少しは楽になるのかも知れませんが吐けないし、えずいても全く吐く一歩手前の感覚が消えなかったので、トイレの個室でも一人で吐き気と格闘しました。
でも、何十回えずいてもなにも変わらなかったので虚しく時間だけが過ぎ、さらにその時間の分だけ自分の情けない気持ちが膨らんで泣きそうになり、精神的にギリギリの状態でした。
ボクがそんな状態でその場から動けないでいると先輩社員や人事の方が心配して様子を見に来てくれたので事情を説明すると「早退」を提案してくださったので、早退させてもらいました。
ボクは入社してたった5日目で「早退」したんです。
しかしその時の気持ちは、「帰れる」「楽になれる」というものではなく、「同期や他の同級生はがんばっているのに入社して5日目で早退とかほんまに情けない」という思いで不甲斐ない気持ちや情けない気持ちに押し潰されそうでした。
当時はこの早退の原因になった吐き気の症状がなんなのかは分かりませんでしたが、今考えるとこれが初めてパニック障害に襲われた出来事だったと思います。
当たり前ができなくなる
早退した日に内科のある病院で診てもらうと、「過敏性腸症候群」と診断され、胃の調子を整える薬だけ処方してもらいました。
しかし、その日からはいつ吐き気に襲われるか分からない不安を抱えながらの生活が始まりました。
何をするにしても、あの状態になってしまうのではという不安がつきまといます。
特に恐かったのが
緊張する場面、その場から離れられない状況や場所。
実際、まずはそのような状況に置かれたときにパニック障害の症状が起こるようになりました。
例えば、朝に朝礼を受けているとき、電車に乗っているとき、得意先の職場見学をしているとき、得意先で打ち合わせをしているとき、先輩と食事をしてるときには必ず手汗がでて、心拍数が速くなり、吐く一歩手前の感覚に襲われました。
しかし、会社に勤めている以上は避けられない場面だらけだったのでどうしようもなく、ただただ耐えることしか出来ませんでしたが、先輩方はボクの症状を理解してくださっていたので、休むことはなく勤務することが出来ていました。
そうして初めて症状が現われてから3ヶ月間はなんとか普通の生活を維持していましたが、次第にパニック障害の症状が現われる頻度が増え、ついには緊張する場面やその場から離れられない状況以外でも症状が現われるようになってしまったんです。
例えば、朝自分の部屋で会社に行く準備をしているとき、風呂に入っているとき、カラオケで友達といるとき、家で家族と食事しているときにも急に症状に襲われるようになりました。
いままでなにも気にすることなく出来ていた“当たり前”が出来なくなったんです。
これがパニック障害がつらい理由のひとつです。
普通の生活ができなくなるんです。
そのなかでも、ボクが特に辛かったのが趣味が楽しめなくなったこと。
ボクはパニック障害になってから少し落ち着くまでの期間に、大好きなB’zのライブと南條愛乃さんのサイン会に参加しました。
B’zのライブではまさかの2列目ステージど真ん中の席になり、南條愛乃さんのサイン会も少しだけ直接お話ができるという内容でめちゃくちゃ嬉しかったのですが、残念ながらこの2つはボクの人生で辛かった出来事1位,2位となってしまいました。
パニック障害になる前なら、1番大好きなB’zのライブで2列目ステージど真ん中の席でライブに参加できたり、好きな声優さんと話ができたら、それこそ人生で嬉しかった出来事に数えられていたでしょう。
もちろん、どちらも忘れられない幸せで楽しかった思い出ではあるのですが、同時にその場から離れられない状況でパニック障害の症状が現われてめちゃくちゃ苦しかった思い出にもなってしまったんです。
もしも、パニック障害になっていなかったら…
と何度も思ってしまいました。
パニック障害と闘う日々の中で、好きなことも楽しめなくなって本当に辛かったです。
人生初の精神科で診てもらう
当時のボクは過敏性腸症候群だと思っていたので処方された胃薬的なものを服用していましたが、一向に症状は改善されないし、
それどころか当たり前に出来ていたことすら出来なくなって生活に支障が出ていました。
だから、段々と症状が悪化する中で本当に自分は過敏性腸症候群なのかという疑問が生まれたんです。
また、過敏性腸症候群じゃないならいったい自分はなんの病気になっているのか?と現状をハッキリさせたい気持ちと、早く治療して治していきたい気持ちがあったので症状をネットで調べてみると、精神的な病気の可能性が見つかりました。
「たしかにその可能性はあるかも」
ボクに吐き気や動悸などの症状が出る状況を思い出すと、緊張する場面や不安になったときが多かったので、もしかしたら、精神的な病の可能性もあるのかもと思いました。
もちろん当時のボクは精神科の病院には行ったことがなかったし、自分が精神科で診てもらうなんて想像もしていませんでした。
ただ、精神科の病院に行くことに対して抵抗感はなく、病名と治療法がハッキリ分かればいいなぁという気持ちで精神科の病院に行きました。
先生に診てもらった結果は、
『抑うつ状態』『パニック障害』。
ボクがその診断結果を見たときの感想は、
「聞いたことがある病気や」でした。
まさか自分が患っているとは思っていませんでしたが、帰ってネットで調べてみると全部と言って良いほど自分に当てはまっていました。
そして、その時にやっと自分の症状の名前が分かって安堵したことをよく覚えています。
退職する決断
病院では、これからも通院することを決めて次の診察の予約をとり、いざという時に飲むとんぷくを出してもらいました。
ボクにとってはこの「とんぷく」が心の支えとなり、
しんどくなってもこれを飲めば大丈夫という安心感が救いでした。
しかし、その後も症状が消えることはなく、「抑うつ状態」と「パニック障害」は悪化。
いつ症状に襲われるのかという不安と段々出来ることがなくなっていく恐怖で、
正直もう消えてしまいたいとまで思っていました。
でも、色んな理由からその決断は絶対にしないことも自分では分かっていたので、なにも身動きが取れなくてしんどかったです。
ただ、こんな風になってしまった理由が”就職したこと”にあるのは明白だったので、退職すれば良い方向に向かうかも知れないという思いはありました。
しかし、世間体や金銭的な理由などから、
自分の中では辞めるという選択がなかったのでどうしようもなく耐えるしかなかったんです。
「これ以上は壊れる」
でも、もう次の日のことを考えるだけでパニック障害の症状が現われるようになっていました。
頑張りたい気持ちもありましたが、精神的に追い詰められていることにも気がついていたし、本当にこれ以上ムリをしたら取り返しのつかないことになるとも分かっていました。
家族もそんなボクの状態に気がついていたみたいで、ボクが気持ちを打ち明けると
「辞めたら良いと思う」「もっと体壊す前に辞めた方が良い」
と背中を押してくれました。
なので、辞めたくて辞めた訳ではありませんが、自分の今後の人生のために退職しました。
ひきこもり生活
ボクはいろんな思いはありましたが、入社した会社をたった3ヶ月で辞めました。
辞めた当時はもっと他に良い選択肢はなかったのかと考えたりもしましたが、自分の健康のためと言い聞かせてパニック障害になる前の生活に戻るために頑張ろうとしました。
「やっぱり怖い」
会社まで辞めて頑張ろうと決意はしましたが、以前の経験がトラウマになっていたので色んなことに対して不安と恐怖がありました。
食事も怖い、電車に乗るのも怖い、人と会うのも怖い、
外に出るのが怖い
結果、自然とひきこもり生活になってしまったんです。
他にも、外に出られなかった理由として
お金がなかったことが挙げられます。
たしかに、3ヶ月間は働いていましたし貯金が全くなかった訳ではありませんが、いつ働けるぐらいに回復するかは分からなかったので、お金はできるだけ置いておきたかったんです。
このような「怖い」「金銭的に余裕がなかった」理由に加え、当時は抑うつ状態も患っていたので全く興味や意欲が湧かずそのままひきこもり生活をしていました。
ボクが23歳にしてパニック障害を体験した感想
「早めに経験できてよかった」
ボクが23歳にしてパニック障害を体験した感想は、意外にもポジティブなものでした。
もう少し説明すると、このポジティブな受け止め方こそがパニック障害を体験して得たものです。
今のボクは以前のボクよりメンタルが強いし、自分らしく生きられていると自信を持って言えます。
以前のボクは、「嫌われないように」「失敗しないように」生きていました。もしも自分の選択がそれに反するものなら変えていたし、他人や周りの目を優先して合わせていました。
さらに、何度か会っただけでバレるほど真面目で深刻になりやすい性格をしていたため、ちょっとしたことで不安な気持ちになったり余計なことまで考えてよく体調を壊していました。
ボクはずっとそんな生き方をしてきたから、就職してプレッシャーや責任に耐えられなくなって、パニック障害になってしまったんだと思っています。
でも、パニック障害になって後悔はしていません。
なぜなら今が楽しいから
確かにまだ緊張する場面、その場から離れられない状況や場所は怖いし、食事も親しい人と食べているときでさえ症状に襲われることはあります。
でも、パニック障害になって、これまでの生き方をちゃんと見つめ直したからこそ自分らしくポジティブに楽しく生きることができるようになったので早めに経験できて良かったと思っています。
そして、これからも少しずつトラウマを克服して出来ることを増やしながら、自分らしく日々を楽しんでいくつもりです。
ちなみに、ひきこもり生活を経て、これまでとは違う考え方で生きていきたいと思ったボクは自己啓発本を読み漁ったり、自己啓発セミナー系の動画を見たりしたのですが、そんな時期に出会った本の内容通りに実践したら周りから嫌われてしまいました。
そのときの体験もまとめているので宜しければ合わせてご覧ください。
コメント