B’z5thシングルと4thアルバムがオリコンチャート1位を獲得
B’zが1990年6月13日にリリースしたB’zの5枚目のシングル『太陽のKomachi Angel』がB’z自身初のオリコンチャート1位を獲得しました。
しかし、B’zの勢いは止まらずB’zが1990年11月7日にリリースした4枚目のオリジナルアルバム『RISKY』も、B’zのアルバム作品としては初のオリコンチャート1位を獲得しました。
このように立て続けにリリースした作品がオリコンチャートの1位を獲得していることから、当時のB’zの人気のすごさが覗えます。では、B’zのメンバーである松本さんと稲葉さんは当時の自分たちの状況をどう思われていたのでしょうか。
『RISKY』がアルバム1位を獲得したときのB’zのお二人の感想については、2020年の10月31日から11月28日まで毎週土曜日に5週連続で開催されたB’z初となる無観客配信LIVE『B’z SHOWCASE 2020-5ERAS 8820-』Day1の直前に配信されたB’zPARTY会員限定メンバースペシャルインタビューの中で話されていましたのでご紹介します。
『RISKY』がアルバム作品としての初の1位を獲得
インタビュアー:4枚目となる『RISKY』がアルバム作品としての初の1位になるんですけれど、アルバムが1位になるっていうのは、またシングルとは違った喜びだとかはやっぱりありましたか?
松本孝弘:そうですね。でもね、その前にね、やっぱその布石として「BAD COMMUNICATION」のヒットが大きかったですよね。だからその、アルバム3枚目でとにかくブレイクさせるために1つちょっと実験的なことをして、それがうまくハマったんで。
ディスコなんかにもアナログ盤を配るために英語のバージョンを作ったんですよね。でもそれが、最初有線でそっちの方が先にあがり始めて、ボクたちはその外国の人の曲をカバーしていると思われてたみたいですよ。その日本語バージョンはね。
インタビュアー:あれは松本さんの中で実験的な?
松本孝弘:そうだから、そのミニアルバムっていうのは、ちょっと流行っててというか、トータルで何分だとミニアルバム扱いっていうのがあったから、まずは最初サイズを作ってたんですよね。何分とかっていう。それでミニアルバム扱いにしようっていう。
だから、「BAD COMMUNICATION」も最初から6分とか7分とか結構長いですよね。
インタビュアー:稲葉さんはどうですか、『RISKY』が1位になったときのこと何か覚えてらっしゃったりしますか?
稲葉浩志:あんまり覚えてない(笑)
だってこれ3年ぐらいでやってるわけでしょ?『RISKY』までね。
ほとんど休まなかったし。
松本孝弘:ほんと休まなかった(笑)
稲葉浩志:当然たぶん、すごい喜んでるとは思うんだけど、次のことをやっているのでそのとき。
だからそのゆっくりそういう気持ちを味わうっていう余裕がなかったんじゃないかなと思いますけどね。いま思えば。
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